私のバースボトルである26番「ハンプティダンプティ」
このボトルには「バラバラになったものを、もう一度まとめなさい」
というメッセージがある。
今まで、ずっと避けたいと思っていた、
だけど、心の奥では、しっかりと大事にしていた
このボトルに、コミットすることに決め、
2012年4月26日「プロジェクト26」始動!
そもそもは、4月25日にオーラソーマPPSコースを修了するから、
翌日から26人限定でコンサルテーションをしようと思ったのがきっかけ。
たまたま26日スタートになったなーと思っていたら、
その日が、なんと26年前のチェルノブイリ事故の日であることが
後になってわかった。
広島生まれの私。放射能との関係は、切っても切れない。
そして今、この大変革の時に、最も大きな課題として
立ち現れている、放射能。
私がコミットしたことは、単なるオーラソーマのコンサルを
やるということではない気はしていたけど、、、
プロジェクト26がいったい何なのか。
皆さんと一緒に謎解きしていきたいと思います☆☆
今浮かんでいるのは、オーラソーマ巡礼の旅!
いろんな地方にいって、コンサルいっぱいやりたいぞー。
ぜひ呼んでね!!!
東京でのコンサル準備ができたら追って発表します〜〜。
私は、物事を見たり考えたりするとき、
必ず自分に近づける。
自分の中に同じような感覚があったり、
心で納得出来るときだけ、
自分の中に招き入れるというクセがある。
記憶にある限り、中学校からそうだった。
(多分もっと前から無自覚にやってた)
だから、自分の中にピンとこない教科や知識は、
完全にスルー。
歴史にしても、流れや物語があって、
それを自分の人生の流れと照らし合わせてみて、
その物語を想像出来たり、共感出来た時だけ、
歴史の人物名やキーワードが入ってくる。
そうそう、この”共感”がキーなんだわ。
共感出来ない場合は、全部流してしまう。
「いらな〜い」って。
それどころか、「これはウソ」とすら思っていた。
(なんてゴーマンな、、、)
今まではこの思考回路?がいいなって思ってた。
基本世の中に不信感を持っているもんだから、
世界が与えてくれる情報やメッセージを、
ちゃんとこの共感フィルターにかけることで、
自分の大切なワールドが守られ、
オリジナリティーが生まれ、
「バカ」にならずにすんだと思っていた。
ひろってくる知識は、
自分が実体験で共感出来る物、
自分の哲学をサポートしてくれる情報。
そういうもので身を固め、
知識のタワーをどんどん高くしていき、
マイワールドを生き続けてきた。
先月、友人達とある無人島に行った。
「自分の使命や役割に気づける」と言われている浜辺で
瞑想していたら、色んな感情がわいて来た。
子どもの頃の記憶や痛みがワンワン出て来て、
私は沢山沢山泣いた。
泣きながらも、どうしてああなったんだろうとか、
今起きてるこの気づきをどういかせるだろうかと
やっぱり考えていたんだよねぇ。
気が済むまで泣いて、フと水平線に眼をやったら、
一つの声がした。
「見て」
と地球が言った。
そう、私は、何も見てなかったんだ。
全て、自分のフィルターを通して、変形させて、
私が創り上げた物語を見ていただけだったの。
自分の世界の中にあるものとだけ対話していた。
外にあるものを、そのまま見て来なかった。
私が自分の物語の中で一生懸命に考えて、
自分のため、人の為、世界のためにと、
世界にもたらそうとしている物には、
地球は、全然興味がなさそうだった。
「ねぇ、見てて」
もう1度地球がいう。
ただ、それだけでいい、と。
この世界に、何も付け加えなくていい。
何も取り去らなくて良い。
ただ、見てれば良い。
この賢い頭と、戦い続ける心を手放して行く、
数年前から既に始まっていたそのプロセスの
最終段階に入り始めた気がした。
最終とか良いながら随分長く続きそうな気も、、、(笑)
今やめるって決めれば、
すぐにでもやめれるんだろうけどね〜〜。(グチグチグチ)
まぁいいよ。
焦る必要はない。
だって、世界にも、自分にも、なんの加工もする必要が
なくなったんだから。
ただ、見てれば良い。
そうして勝手に展開するプロセスにオープンになればいい。
それだけなのだから。
「今日は死ぬのにもってこいの日」
と語ったネイティブアメリカンがいた。
今日、私の中に、同じ言葉が巡る。
肉体としての死を迎えるにはまだ早い。
だけど、今日は死ぬのにもってこいの日だ、と
言う人がいる。
私の中に、私が引き連れ続けて来た、わたし。
何回も繰り返して来た人生の中で培って来た、
「これがわたし」という形と記憶。
その記憶が、そろそろ、還りたいという。
青い空から降りる、あたたかな光が心地よい。
白とピンクの花びらの足下には、
柔らかな若草色が、いつのまにやら顔を出している。
還り行くところは、きっと優しく、
穏やかな青い世界なのだろう。
還りゆく彼らは、大丈夫だ。
小さな私が言う。
「置いて行かないで」
「一緒にいて」
「1人にしないで。」
たった独りになるのは、
寂しい。
怖い。
今まで一緒に経験して来たじゃない。
辛い事も、楽しい事も。
せっかく覚えたじゃない。
どうやったら痛みを癒せるか。
もう傷つかなくてすむか。
せっかく痛い目を経て得たこの学びを
捨てろというの?
また傷つくかもしれない世界に、
まっさらな私を独りにするというの?
不自由でも、重くてもいいから、
私の中に、棲んでいて欲しい。
もう一度、粉々になるくらいなら、
いっそ始めから、永遠に気づかれない場所で
眠らせておきたい。
そして、創り上げた「私」という仮面でもいい。
穏やかに、幸せに生きて行けるなら、なんだって。。。
そう思う心の下から、
聴こえてくる声を、
わたしはもう知っている。
もう、その仮面を、記憶を盾に、
生きて行かなくて良い刻が来た事を、
わたしは、もう知っているのだ。
使命を果たしたその記憶達が旅立つのを、
誰にもとめる事は出来ない。
彼らが自ら「死ぬ日」を決めたから。
今まで一緒に生きてくれてありがとう。
今まで守ってくれてありがとう。
少し長めのお葬式をしよう。
そうして、後は、
春の風に任せよう。
ばいばい。
去年の11月に行った、
リーダーシップ世界大会は、
色んな物を私に見せてくれた。
実行委員のみんなとミーティングしている時に、
フと浮かんだビジョンがある。
白い丸い光が、円になっておしゃべりをしているの。
どうやらその光は私たちの魂で、話しているのは
大会についてだった。
私たちは、生まれてくる前から、魂の世界で、
この大会をやることを決めて来たようだった。
他にも、自分のリーダーシップってなんだろうって
来る日も来る日も集中し続けていたら、
ある夜パッと、銀色の美しい光の玉のビジョンが見えた。
いろんな色を含んで、白銀の輝きを讃えた、
それはそれは美しいものだった。
「あ、これが私なんだ」と、思った。
私は、その大きな円形の玉に、小さなストローを刺して、
そのストローから「これが私」ってものを、
一生懸命取り出そうとしていたんだね。
わたしという存在は、ずっと、もっと、大きいんだ。
様々なビジョンが私にそう教えてくれた。
そして、ビジョンとして見えた光は、
大会当日を通じて私の全身から放たれ始め、
自分自身が光であるということを、
たくさんの人や存在から教えてもらった。
でも、その光は、あまりにも強烈で、
私の体は焼き切れそうになり、
人間関係も焼き切れると不安になり、
しばらくの間、そっと、
洞窟のような、神殿の中にいってもらうことにした。
そうして3ヶ月の間、私はその神殿に近づけなくなっていた。
出来る事ならその存在も忘れてしまいたい、とさえ思った。
だって、見えている世界、住んでいる世界が、
あまりにも変わるから。
今まで通りには生きていけないことが、わかっていたから。
特に、旦那さんとの関係がどうなるか、怖かった。
友達が減るくらいならいい。
また自分の新しい世界を共有出来る友人はできる。
でも、彼とうまく行かなくなることだけは、
耐えられないと思った。
ネットサーフィンやお菓子を自分に注入し、
感覚を麻痺させながらも、
なんとか、この恐怖を乗り越える方法を探しまわった。
歓びと感謝に溢れる日もあれば、
無気力にカスカスになる日もあった。
さんざんごまかして、限界にきた。
彼に言った。
「私は、もう、光の世界にむかって進んで行くしかない。
あなたとの関係は続けて行きたいけど、
今からいくところは、なんの約束も出来ない。」
返って来たのは意外な言葉だった。
「まぁ、やってみようか」
なんてアホな男なんだ。
こんなリスク、普通取らないでしょうに。
私の心は救われた。
覚悟は決まった。
2人でいられる安全圏さえもとっぱらって、
ゼロベースでこれからを考えよう。
私は、私になる。
何をするようになるかは知らない。
誰に、どこで、何をする人になるかはわからない。
どんな貢献や使命があるかはわからない。
知らなくていい。
決めなくていい。
自分が自分であれば、きっと世界が用意してくれる。
なんせ、今年の目標は「世界にかしずかれたい」ですから(笑)
そうしてもらえるに相応しい人になろう。
自分自身であることを、もう、許そう。
今は、あの、光の私でいられることだけに注力します。
しばらくパソコンメールとか、あまりみなくなると思う。
用事がある人は携帯にどうじょ。
ここ1ヶ月ほど、近い将来、
日本でマグマが噴火するようなエネルギーを感じておびえていた。
大地を揺り動かし、立ちあらわれる巨大な何かを感じて、
武者震いと恐れの震えを幾度も味わった。
もし、それでまた放射能が飛び散ったらどうなるのだろう。
悲観的になるつもりはないのだけど、ナウシカのように、
腐海とともに、体を蝕まれながらも、
この土地で生きて行くしか術がない時代が来るのかもしれない。
多くの人が病気や飢えで死んで行くしかない時が来るのかもしれない。
そんなイメージは、私の単なる不安が生み出した妄想だと、
出来るだけ見ないようにして来た。
今日、おじいちゃんの遺影に手を合わせていたら、涙が出て来た。
この人は、そういう時代を生き抜いた人なんだ。
ここまで命を繋いで来た人々は、
戦争、飢え、大震災、病い、口減らしを経験し、
それでもなお、
大陸を渡り、開拓し、畑を作り、命をつなぎ、
生きて来た。
ありえない人たちだ。
逞しすぎる。
人間は強い。
命は強い。
私にもその力が、本当はあるはずなんだ。
それを私が忘れてしまっているだけなんだ。
あまりにも文明の中で、生命力を別の所に注いでしまい、
みんなその力を忘れているだけなんだ。
大地からわき上がってくるのマグマは、命なんだ。
私たちの生命力が、爆発しようとしているのかもしれない。
何が起こるかわからない。
何も起きないのかもしれない。
だけど、私の中は、確実に変化し始めている。
そして、あらためて思うのだ。
ここまで、命をつないでくれた人々に、
心からの感謝と敬意を胸に、
私は、今、この世界のあらゆる事象を生み出している当事者の1人であり、
そして、この大変な時代を、自らの意志で選んで生きているということを。
自分で創った世界じゃない。
好きで選んだシチュエーションじゃない。
本当はここにいたくない。
そう思い込む事で、どれだけ多くの事から目をそらしてきたか。
そう思い込む事で、どれだけ自分の生命力の行き場を閉じていたか。
たくさんの、死ぬ気で生きて来た命の思いをないがしろにしてきたか。
ここに生まれ、生きているということが、どれだけ奇跡のようなことか。
それを知る毎日を送っている今日この頃です。