愛の放置プレイ
2011.05.09 21:58|オーラソーマ|

みなさん、どんな連休をすごしましたか?
私はオーラソーマのコースに出ていました。
丁度3年前の今頃受けたレベル1。
色の言語も随分忘れてしまったし、
自分自身手放したい事もあったので、
再受講する事にしたのです。
いや~、色んないい気づきがありましたよ~。
たくさんシェアできたらいいなぁ。
その中のひとつがこれ。
「愛の放置プレイ」(笑)
オーラソーマでは、みんな「正しい時に正しい場所にいる」と
考えられています。
例えば、満開の桜を見て愛でるのはその人の自由だけど、
木にとっては実をつけるプロセスでしかない。
たわわに成った実を喜んで収穫するのは食べる人の都合で、
実にとっては子孫を残す種を生むプロセスでしかない。
冬の間丸裸になった木を見て寂しがるのもその人の好みの問題で、
木にとっては春の芽吹きのパワーをためている時期でしかない。
そうやってまた新しく芽吹いて、花を咲かせて実をつけて、
いずれは寿命を迎えて朽ちていく。
だけど、それも、土に還っていくプロセスであり、
そこからまた新しい芽吹きを迎えて行く。
どこにも始まりも終わりもなく、
木にも花にも実にも新芽にも優劣はない。
全部全部、人が自分の都合と好みで評価をつけたりはするけど、
本質的にはなんの優劣も善悪もないんだよね。
そうやって自然を捉えるように人を捉える。
落ち込んでいる人、生き生きしている人、
幸せに満ちている人、憎しみにかられている人、
仕事をしている人、していない人、
理解が早い人、遅い人。
どんな人も、どんな才能や性格や行動も、
等しくただそこに在るということ。
そしてその存在を、ありのままに見ているということ。
それを大事にします。
それって、めっちゃ「深い愛」だなーって思う。
3年前に比べて、成長したなって私が思うところを、
先生に褒めて欲しくなったりする自分もいる。
だけど、先生は、そんなことしない。
3年前と比べて褒めるっていうことは、
それは3年前の私が「劣っていた」ことになるし、
今後会う時にもし今の私より「よりよく」なってなかったら、
私はまた劣った存在になってしまうから。
だから、先生は、ただ私を見ている。
3年前の私の事も、ありのままに見て、
今回の私の事も、そのまんま見て、
そして、その私のためにスペースを持ち続けてくれた。
それって、すごいことだと思う。
シュタイナー学校でも、先生は生徒を褒めたりしないんだって。
だって、先生の価値観にとってや、社会的基準にとって
「いいこと」だったら褒めて、そうでなかったら「褒めない」ってのは、
その子をコントロールする事になるから。
その子のありのままを見る。
愛の放置プレイ。
しかも、価値観が違う人間が、共に生きて行く世の中で。
うーん、奥が深いっす。
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テーマ:セラピー&ヒーリング
ジャンル:心と身体