コーチであること、ないこと。
2010.10.29 10:18|NVC・コーチング|
昨日はCTIジャパンが主催する対話の会に行った。
自分がコーチを辞めて以来、こういうコーチング現場にでたのは久しぶり。
対話のテーマは「コーチングの原体験とこれから」
今の枠にとらわれない、これからのコーチングの役割や形、
「コーチングの新しい物語」を求めて、CTIが呼びかけて場を持ち、
参加者と共に語る中から何かが現れる。そういう意図を持った場だ。
「コーチング」という枠に窮屈さを感じていた私にとっては、
大本であるCTIがその枠を越えて行く試みを率先してやっていることは、
とても重要な意味を持った、勇気ある素晴らしいチャレンジだと感じた。
コーチングの世界から引きこもっていた私を、
トントンと何かがノックしに来たみたいに、
導かれるように私は「新しい物語」の一部になっている。
私のコーチングの原体験は、中2のときの家庭教師の先生。
心理的に落ち込んで成績ガタ落ちだった私に、親が心配して、
知り合いの大学4年生に家庭教師を頼んでくれた。
最初こそ真面目にテキストを使っていたけど、
途中からはひたすらおしゃべりタイムに(笑)
その日学校であったこと。
夢中になっていたアイドルのこと。
好きな歌の歌詞や、漫画の台詞。
社会に対しての思いと夢。
とうとうと語る私の話を、勉強しろとも言わずずっと聞いてくれたり、
自分では気づかない私のいいところを教えてくれて褒めてくれたり、
私の成長を、未来を、大きな希望を持ってみてくれる彼女が、
どれだけ私の支えになって励ましてくれたか。
自分の話をしっかり聞いて受け止めてくれる大人がいる。
大きな自分を信じてくれる大人がいる。
それが、あの世代の子どもにどれだけの勇気と自己信頼をくれることか。
彼女の存在と、共に過ごした時間が、
10年経って、私をコーチングの世界へと導いたんだと思う。
そうして、大人になって一通りコーチとしてのチャレンジをした私は、
「コーチ」であることに違和感を覚えて、結局その看板を下ろした。
コーチじゃなくても、
コーチングのエッセンスを持った人や関わりは、沢山ある。
昨日対話した人たちから出た原体験は、兵法の師匠だったり、本だったり。
そう、コーチングのエッセンスは、なんにだって宿る可能性があるんだ。
私は、個人的にはそのエッセンスを持った「お母ちゃん」になりたい。
寮の食堂のおばちゃん(一昔前なら下宿の女主人?)みたいに、
たくさんの若い人たちに「お帰り」っておいしい料理でむかえて、
しんきくさい顔してたら「元気だしなさいよー!がはは」って背中たたいたり、
そっと横に座って、ただ黙って時間を共有したり。
田舎のおばちゃんでもいい。
ふらりと来た人を、「あら、あがって食べてきなよ」って連れ込むの(笑)
私自身が両親以外の、たくさんの大人に育ててもらったように、
わたしも、肉親という壁を越えて、たくさんの人のお母ちゃんになりたい。
だから、コーチという看板を下ろして、毎日を丁寧に生きることに決めたの。
そうして時が経ち、自分1人の世界に浸ることに満ちて来た私のタイミングと、
ここにきてCTIが率先して「コーチング」の枠を変えに来ていることや、
プロコーチである相方のサポートがもっと必要になって来たのが重なって、
自分の中で「コーチング」をもう一度捉え直す必要性が出て来ている。
自分の中で、「お母ちゃん」と「コーチング」が、
まだいいバランスになってないのがちょっと大変なんだけど、
ダイナミックな調和を持った人であれるように、日々精進。
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